陶芸家・比留間郁美さん

使っていると、頭の中で話が広がるような 食器がつくりたい。


2017年5月取材(取材・文=赤司研介 写真=西岡潔)

あちらこちらで木々が芽吹き、力強い新緑が山を彩る季節。ピンク色のシャクナゲや、紫色の藤の花が咲き、カエデの葉っぱが風にそよそよと揺れている。

嬉々とした植物たちを横目に見ながら、きれいに整えられた小道を抜けると、日本の山奥の村とは思えないような、北欧風の家が見えてきた。

女性の「どうぞ」という言葉に促されて中に入る。私たちを招き入れてくれた声の主は、陶芸家・比留間郁美(ひるまいくみ)さん、その人だった。

高い天井、紫色の壁、板張りの床、ステンドグラス。全体的な洋の雰囲気の中に中二階の和室があり、独特の、それでいてとても心地の良い空間が広がる。

聞けば、ここはもともと英文学の翻訳家だった方が文学館を営んでおられた建物だという。そこに使い込まれた作業台があり、つくりかけの食器がスチールラックに並べられ、完成品は木製棚の中に仕舞われていた。

陶芸家・比留間郁美が生み出しているもの

比留間さんの生業は陶芸であり、つくっているものは食器である。毎回テーマを決めて展示会を開催し、そこへ向けて制作を行っていく。ある時は「静物画」、ある時は「ピクニック」といった具合に。

「静物画」の時は、古い絵画の、静かな世界に描かれた食器を見て、見えない部分は想像しながら、ろくろで立体に起こしていった。「誰かが絵にしたということは、その食器の形や比率が美しいなど、何か理由があるのではないか?」 と思ったことがきっかけだった。

また、「ピクニック」がテーマの時には、食器にシールをコラージュして「転写」するという技法を取り入れ、ピクニックセットをつくった。「転写」という技法は工業製品(大抵が磁器)に用いられるもので、陶器に使用する作家はまずいないという。

「技術的に難しいわけではなくて、単純にオリジナリティがないという意味合いで、やろうと思う人がいないんだと思います」と比留間さん。

しかし、それがオリジナリティのひとつとなりつつある。世間から求められることも増えると同時に、バリエーションも増えてきた。さまざまなシールをつくり、掛け合わせていくため、手間も増える。

当人は「だんだん面倒くさいことになってきたんですけどね」と冗談めかして笑うが、工芸品には「土地の王様への献上品として発達してきた」という歴史があることを引き合いに出しながら、「一般の人たちに献上するようなイメージで制作しています」と、その想いを教えてくれた。

なぜ食器をつくるのか?

しかし、なぜ食器なのか。他の選択肢もあったはずだし、今もあるはずだ。なぜ食器なのか問うと、「人が使えるものに興味があって、使っていると頭の中で話が膨らむような食器・食卓をつくりたいという思いがある」という。では、そう思うのはなぜなのか?

「食べるのが好きだからかな。私はどちらかというと洋食器をつくることが多いのですが、例えばケーキをのせた瞬間に、バランスというか、器の表情が変わるんです。その瞬間がとても好きで、その感覚を、使ってくれる人たちにも楽しんでほしい。食器を通して疲れを癒すというか、食事の時間を慌ただしさとは別のものにするお手伝いができたらいいなと思ってます」

移住を決定付けた環境

そんな比留間さんは、千葉県の出身。7年ほど前、夫である現代美術作家の晋一さんと共に関西で家を探していたという。

「東京にはある程度人との関係があって、器を流通させられる土壌ができていたので、次は関西に拠点がほしいなと思っていて。東京は実家があるし、友達もいるし。関西は泊まるところもないし、つながりもないので、関西でいいかって(笑)」

関西の中でも奈良に住むことを後押ししたのは、春日大社の「若宮おん祭り」だった。大学時代におん祭りを体験し、奈良に魅力を感じていた比留間さんは、「奈良に住みたい」と晋一さんに相談。二つ返事でOKが出たため、移住先が決定。実にすんなりと奈良市内での暮らしが始まった。しかし5年ほど経った頃から、比留間さんは「もっと広い場所へ越したい」と考えるようになる。仕事量に比例してものが増え、作業場が手狭になってきたことが理由だった。

「広いところに越したいなと考えていた頃に、ちょうどデザイナーをしている友人から県主催の移住体験ツアーがあるという話を聞いて、普段は行政が主催するイベントなどに参加するタイプでもないのですが、温泉無料という特典もあって参加してみようと(笑)」

このツアーの舞台が東吉野村だった。そして、村内で暮らすアーティスト・坂本和之さんのアトリエを訪問。自然の深いところに身を置き、窓から見える緑や川を見ながら作品制作を行う坂本さんの姿を見て「これだ!」と直感したという。その後は早かった。役場を通じて数軒の家を内見し、今の住まいに巡り会い、新天地での生活が始まった。

村に流れる健全なサイクルの中で

こちらでの暮らし始めると、生活は一気に朝型になった。奈良市内で暮らしていた頃は、朝方まで仕事をすることも少なくなかったが、今は朝7時には起きて17時には仕事を終える。そして夕食づくりを始め、食事をし、22時にはベッドに入る、そんな生活だ。

「夜が暗すぎて、仕事をする気にならなくて(笑)。でもとてもいい変化だと感じています。前よりも仕事量は増えているんですが、仕事を終える時間が早いからか疲れにくくなったように思います。こちらでは周囲のサイクルが早めに動いているので、無理なく自然に、自分もそのサイクルで暮らすようになりました」

近所のお母さんと朝の6時から散歩したり、自分と同じように移住してきた女性たちで集まって醤油や味噌をつくったり、人との関係も存分に楽しんでいるという。

どこか好きな場所はあるのか聞くと、「天候がよければどこでも天国」だと比留間さんは笑う。

「春の美しさは素晴らしいです。でも、雪が降っても嬉しいし、夏は川で泳いだりして楽しいし、紅葉も見事だし、春夏秋冬全部いいです(笑)。天気がいい日に庭にテーブルを出してお茶を飲んだりするだけでとても幸せです」

頑張りすぎない、張り詰めすぎない暮らしへ。

最後に、これからどうしていきたいと思っているか聞いてみた。

返ってきたのは、「さらにゆっくりしたい」という、とても彼女らしい言葉だった。それは、ただ単にだらっと過ごしたい、という意味ではない。仕事も生活も、ひとつひとつにより集中していきたいという、比留間さんが獲得しようとしている、望む暮らしが集約された言葉なのだ。

「奈良市内で仕事をしていた時は、忙しかったです。毎日倒れるように眠っていました。月によって仕事の量は異なりますが、冬の時期になると展示会が4~5個あって、それを並行して進めたりするので、大抵具合が悪くなってしまう。そんなことを続けていると、頭が枯渇していっちゃうんです。頑張りすぎない。張り詰め過ぎない。山に登ったり、畑や庭仕事をしたりしながら、そういう暮らしをつくっていけたらと思っています」

忙しい日々に追われて、私たちは自らが何を望んでいるのかすらわからなくなりがちだ。でも、望む暮らしは、他ならぬ自分しかつくることができないもの。親切な誰かがつくって手渡してくれたりはしないのだ。

さて、あなたの望む暮らしは、どんな暮らしですか? 比留間さんの作品や、暮らしぶりが気になった方は、ぜひ一度、当村を訪れてみてください。

比留間郁美

1982年、千葉県生まれ。女子美術大学工芸科卒業。2005年、滋賀県立陶芸の森で滞在制作をする。現在奈良県東吉野村に工房を築窯し、全国各地のセレクトショップで個展やグループ展を開催。ファッションブランドとのコラボレーションの食器なども手掛ける。